2007年01月06日

日本史学界の不理性を非難する


華西都市報 2006年12月27日 ソース(中国語)


あるメディアの指摘によると、今回の日本側の学者の多くは日本政府の観点に近い人物であり、筆者は今回の両政府主導の共同研究の前景を楽観していない。しかし「歴史研究分野に侵略者が参加する権利はない」といった有無を言わさない観点に関しては、同意出来ない。

日本の歴史教科書問題は、双方が注目する敏感な話題のひとつであり、1950年代から日本国内でも大きな論争を引き起こしている。東京教育大学(現筑波大学)教授の家永三郎の3度に及ぶ教科書訴訟が最も有名である。これは32年にも及ぶ長い訴訟で、1997年8月に、日本の最高裁判所は文部省の行為が違法であると認め、「南京大虐殺」の文字が20年ぶりに教科書に復活したのである。この運動は、日本の民間の歴史学者が主要な推進者となった。

日本の歴史教科書問題の表面的な問題は、文部省の「検定制度」であるが、その根源の問題は第二次大戦後のマッカーサーによる統治時期にさかのぼる。マッカーサーは、日本の財閥を解散させず、左翼の社会党を抑圧する為に自由民主党を組織した。自民党と財閥のメンバーは戦前の執政勢力であり、切っても切れない関係であり、皇国史観の影響を深く受けている。まさしくこれらの勢力により、民間の教科書の選定に対する権力による干渉が意図されたのである。この後20〜30年にわたり中国等のアジアの国家は、日本の現在よりも問題が大きい歴史教科書問題に沈黙し、影響力を行使する最もよいチャンスを逃した。この後、新たな世代の日本人が育ち、問題がさらに面倒になったのである。日本の右翼は1997年の「家永」の挫折後、策略を変更し、扶桑社による歴史教科書を制作した。しかし、学会、教師、市民の強烈な反対により、その採用率は0.5%にも届いていない。

特に指摘すべき点は、日本の大学は明治維新後に西側の大学のスタイルで設立されたものであることである。日本の学術は自由であり、学者には独立性があり、それらはアジアの中でも非常に高いレベルにある。日本の右翼の穏健派の多くは、南京大虐殺、731部隊、慰安婦等の歴史の事実を認めており、「南京大虐殺は嘘」等とがなりたてるものは、こぐ少数の極右の狂人に過ぎない。

中日両国はアジアの大国であり、2つの大国がいがみあうことによる利益は何もない。中日両国は善意で接するべきであり、まずは近現代史を解決することが望まれる。そのためには、理性的な史実に基づいた態度が必要となる。我々は日本の歴史問題における間違った認識に対して断固として反対をするが、我々も日本の史学会に対して理性的な態度を取り、有無を言わせずに非難することは良い闘争の策略とは言えないのである。(中国青年報)

遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。
更新が異様に少なくなっていますが、今年はもっと精力的に訳したい思っています。(年初の目標)

今年の中共、日中国交正常化35周年や、指導者の訪日で友好ムードを演出したいのでしょうが、南京大虐殺70年記念等の波乱要因が沢山ありますね。ほとんど知られていませんが2007日本中華年なんてイベントもあります。

米国では大統領選を来年に控え、中国への様様なバッシングが増えるでしょうし、日本では参議院選を控え、支持率が下落傾向の「穏健派右翼」の首相の対外姿勢にも変化が見られるでしょう。経済的にも北京オリンピック後のバブル崩壊を目指した投機マネーが最後の活躍を見せることになるでしょう。

まぁ、いずれにせよ精一杯頑張って、ネタを提供して頂きたいものです。

さて、今日の記事ですが、胡錦涛系の中国青年報からです。中国側にも自制を求めるなど、かつてに比べれば幾分「理性的」になってますかね。日本の右傾化を踏まえ、右翼を「穏健派」と「極右の狂人」に分けて後者のみを敵視する手法は、初めてではないでしょうか。色々考えるものです。

理性的になっているとは言え、中国側が「闘争」ではなく、「理性的な史実に基づいた態度」で歴史を見れるようになるには程遠いようなきがしますが。
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2006年12月26日

清華大学教授:中日の国民の素質は30年の差

中国新聞網 2006年12月20日 ソース(中国語)


汪中求

ある中国の品質管理の専門家が、1年の歳月を掛けて品質管理の優れた日本、ドイツ、シンガポールの3ヶ国の視察を行った。初めの訪問地である日本で専門家は、日本の企業経営者が品質管理手法に優れていることを再確認しただけでなく、この品質の思想が日本の社会の各方面に根ざしていることを発見した。

今年の夏、筆者は中国品質管理視察団の一員として、日本の企業、大学と政府に対しての視察を1週間行った。この1週間の視察で、我々は日本企業や機関の品質管理を身をもって体験した。さらに我々を驚かせたことは、この品質管理が国家の各方面に深く根付いていることである。ある中国人の教授は「中国が日本と同じスタートラインから走り出しても、我々が必ずしも日本に追いつけるとは限らない」とする。

既にこの視察から半年経ったが、私はこの視察の見聞を記録しようと思った。この文章を発表するに当り、心配が無いわけではない。この文を見て、汪中求に民族の自尊心がないと思う者がいるのではないか、売国奴とされるのではないか?

ストレスが日本人を仕事に向かわせる

日本人の背中には見えない手が着いているようである。この手が彼らを仕事に向かわせ、仕事において相互に励行させ、向上させているのである。

順守を自覚し相互に励行

仕事の時間、日本のホワイトカラーは背広、ワイシャツ、ネクタイを着用する。真夏で外の気温が40度の時でもこのような姿をしている。大変に熱い中、このような正装をしている為、街中で倒れることも珍しくない。ホワイトカラーだけではない。タクシーの運転手ですら、背広に革靴で、熱くて汗が止まらなくても、上着を脱ぐことはない。事実上誰も管理をしていないにもかかわらずである。これが彼らの仕事での習慣なのである。

日本の街中では、よく60才以上の警察官や警備員が真面目に交通整理をしているのを見かける。書店の店員が屈んで床を掃除することは、非常に一般的なことである。ホテルの食事の際、我々が脱ぎ散らかした靴は、帰る際までには店員により一列に並べられ、直ぐに履けるようになっている。

どのような組織においても、努力をしない者や、間違いをした者に対しては「おせっかい」な人がきて、非難をする。「純子さん、どうなってるの?」「木村さん、貴方のミスで、私のの面子がつぶれたよ!」 日本の友人に「日本人は自分にとってマイナスになろうが、他人に干渉して非難する権利を使うのか」と聞くと、「確かにそうですね。一種の空気でしょう。努力を迫られるのです」と答えた。

仕事が忙しく夢を見る時間が無い

仕事が終わらなければ、日本人は帰宅することが出来ない。これは彼らの習慣であり、仕事が遅い社員は残業をするしかない。夜8時を過ぎたとき、世界500強の1社である住友商事の前を通ると、多くの社員がその時間にやっと帰宅の途に就いてることがわかる。これはまとまって残業をしているのか、それとも他の原因があるのか? 午後11時半になっても地下鉄の駅には多くの人が流れている。多くの人が1日に2つの仕事を掛け持ちしており、電車に乗ると直ぐに寝てしまう。非常に疲れているのである。

日本において、男性の平均結婚年齢は35才であり、父親になる平均年齢は36才である。多くの人は結婚をしようとせず、子供を作らない人はもっと多い。特にキャリアウーマンはこのように考えている。女性が子供を産むことは、仕事人生の終了を意味しているからである。女性が仕事が出来なくなる主要な原因は、子供を人に預けられないことである。他人に子供を預ける費用は、本人の収入より高い。自分で子供を5〜6年育て終わる頃には、社会の発展についていけず、家庭の主婦をするしかないのである。

政治家が日本人を命がけにさせていると考えられる。政府の政策により、努力をせざるを得ないのである。日本の個人所得税率は非常に高く45%であり、相続税は70%にもなる。自分の老後の準備の資金の貯金もままならない。65才になって政府からの年金が入ってやっと、命がけから解放されるのである。

国家が課すストレスが非常に大きい為、必ず命がけになるのである。ある日本の友人は「日本人は夢を見ない。夢を見る時間が何処にあるんだ」とする。これを聞き、漠然とした悲しさがこみ上げた。

相互に信頼し秩序を守る

ストレスは非常に大きいが、日本人の生活にはゆとりと秩序がある。東京の裏通りを歩くと緑化率が非常に高く、舗装されていない土地が無く、少しのスペースにも草花が植えられていることに気がつく。

道に置き引き無し

東京の住宅は防犯ドアではなく、非常に薄い木製ドアやガラスのドアである。時々1階に鉄格子のある家があるが、2階以上にある家は見たことが無い。彼らは泥棒を心配しないのであろうか? 多くの自転車は鍵が掛けられておらず、夜間にバイクが外に置かれている。何の心配もないようである。

電車、旅館、会議室、レストラン等でお金の入ったバックを置いても、誰も動かない。京都駅は人の行き来が多く、周囲のレストランも繁盛している。そのレストランに無造作に7〜8個のバックが置かれていても、誰も見向きもしない。よく西洋人が中国人の「先に行って、私がここで見ている」という言葉の意味がわからないと言う。何を「見る」のだと。

我々が宿泊したホテルのチェックアウトは、カードを返却して費用を支払えば終わりである。中国では一流のホテルでもチェックアウト時に「客室の調査」が行われることが多く、多くのホテルには物品を破損した際の損害賠償価格の一覧表がある。つまり人を全く信用していないのである。我々の一人が日本の地下鉄で網棚に背広を忘れたところ、係員が次の駅に届けて保管してくれていた。なおかつ、アイロンが掛けられ、畳まれていた。

繁華街では、多くの女性がジーンズの後ろポケットに携帯電話を入れているのを見かける。このようにしていても、誰も何も注意をしない。ある女性は大きなバックを背負っていたが、その外側のポケットには財布が入っており、1m先からも分かってしまう。そのような状況でも、何の危険も感じていないのである。

我々は貧富の差が大きいと窃盗が多いと考えている。しかし、実際はそうとも限らない。日本にも貧しい者は存在するし、浮浪者もいる。街中の芸術家に私の自画像の漫画を1600円で書いてもらった。この芸術家は書き終わると、自分の絵に納得をせず、1000円だけを受け取り謝罪をしてきた。

渋滞でも秩序正しい

日本人は秩序を重視する。普通に並び、1mの距離をとる。エスカレーターでは左側に立ち、右側を急ぐ人の為に空けている。

東京では、数百人が一つの信号待ちをし、一人もそれを乱す者がいない。車は交差点に入っても減速をしない。誰もが交通規則を順守している為、ハプニングが起こることが無く、減速の必要が無いのである。しかし、信号が赤から青に変わった時に車は減速の必要がある。車は進めるが、歩行者が渡り終わってからの通行となる。歩行者が一人だけ渡ろうとしていても、車は譲らなくてはいけない。これはまさしく「人が主役」を実現しているのである。

日本の道は決して広くない。片側4車線道路は非常に少なく、主要な道路でも片側1車線である。一度高速道路で
渋滞にはまったが、進めない訳ではなく、ノロノロ運転になるだけである。誰も割り込みをせず、クラクションを鳴らす者もいない。

我々がホテルに着くと、ホテルの前では交通整理係が居て、どのように進むのかを指示している。ホールの前には大きな看板があり、「何処何処の団体」が何時出発かが記されており、その時間に集合すれば、出発時の混雑は避けられる。もしも出発時間が複数の団体で重なれば、ホテルが5〜10分時間をずらすように提案する。

深刻な危機意識

日本の学校は毎月一回火災訓練があり、毎学期に一回地震訓練がある。各家庭には防災袋があり、中には乾パン、ミネラルウォーター、防寒着、懐中電灯、カッパ等が入っている。日本は社会の上から下までに、自分が命がけでやらなければ、国が滅びるとの信念を持っている。

我々はトヨタ自動車の視察を行った。トヨタが自動車生産を行う前、日本には自動車工業が無かった。自動車を初めて生産したのは2代目社長で、英国で自動車の視察を行い、帰国して直ぐに自力で生産した。儲かっていた紡績業は放棄した。日夜仕事に追われ、2代目社長は僅か50才で亡くなった。民族の発展と国家の進歩の為、日本の多くの人は自己犠牲を厭わないのである。

日本は自動車大国であるが、中産階級以下の会社員は車で通勤することはできない。なぜなら、駐車場代が非常に高いからである。東京の多くの駐車場は100円で僅か15分しかとめられない。多くの日本人は車を買うことができるが、多くの人は駐車場代を支払えないのである。

日本は発展した社会であり、一般的に「食べる」ことに関しての問題は起こりえない。しかし、日本人の食事の量は非常に少ない。おかずは小さな皿に少し盛っているだけであり、ご飯も1杯だけである。日本人はお腹いっぱいにならないのではないかとの疑問が湧く。日本で仕事をしている友人は、もし一回でも腹いっぱいしゃぶしゃぶを食べられれば幸福であると言う。日本人がこのように小食なのは健康の為の腹八分なのか、一種のストレスによるものなのか、分からない。

家を借りる時は大家に礼金

日本人の住宅のストレスは非常に大きい。私はこれは日本政府の故意であると大胆に推測する。

日本の住宅価格が高いのは非常に有名である。東京の住宅価格は60万円(約4万元)/u程度であり、一生働いても小さな住宅しか購入できない。一般の人は住宅を購入できず、購入できたホワイトカラーでも、45u程度の小さな住宅である。

一番奇妙なのは、日本の賃貸方式である。家賃が非常に高いだけでなく、初めに5ヶ月分の家賃を支払わなくてはいけない。当月の家賃のほかに、敷金(2ヶ月分の家賃)、仲介料、大家に対する礼金を支払わなくてはならないのである。日本の市場化は非常に高いにもかかわらず、何故大家に礼金を支払わなくてはならないのか? これはおそらく彼らの政府が故意に行っていることであり、民族全てに緊張を持たらす目的があるのである。

タクシーの運転手が社会科の授業を行う

日本の学生の勉強は学校内だけではなく、しばしば校外で学習する。観光地に出向き、祖先がどれだけ苦労したかを学び、企業を見学し、企業がどのように発展したかを学ぶ。学生に時代を捉え、社会の需要にこたえられるように考えさせる。堅く言えば、これは彼らの公民意識教育であり、思想教育、徳育でもある。

彼らは徳育を特に重視し、その投資は非常に大きい。我々が世界文化遺産の清水寺を参観していると、多くの中高生を見かけたが、彼らは教師の引率が無く、代わりにタクシーの運転手が彼らを案内していた。1人の運転手が4人の学生を案内し、社会においての様々なことを学生に聞かせている。1〜2時間学生に案内しつづけるが、これは運転手の義務である。学生はノートを取り、学校に帰ってから感想文を書かなくてはならない。

日本の民族の憂患の意識は非常に大きい。小学校の教科書では、この国は生存が非常に難しく、国の立場は非常に脅かされており、この国がいつも他者から叩き潰されることがあると教えている。日本は歴史上、日本の本土まで侵略されたことがないが(第二次大戦後の米国の占領は侵略としない)、日本の政治家は、常に他の民族が強くなれば、侵略され、日本の生存空間が狭まると考えている。

中日の国民の素質は30年の差

日本社会でよく使われる言葉がある。「自分のことは自分で 社会に迷惑を掛けてはいけない」各々がこの信念を持ち、社会全体で公民の素質は非常に高い。

ビンを捨てる前にラベルをはがす

日本人は、外出時にゴミ箱が見つからなければ、ゴミを持ち帰り自分の家のゴミ箱に捨てる。ある女性が我々を案内したが、その女性に「髪の毛が服についてますよ」と告げると、「申し訳ございません」と謝りながら、彼女はテイッシュを取り出して髪の毛を包み、自分のポケットに入れた。

バイキングを利用する人は、自分でテーブルを片付け、こぼれた水などは紙で拭き、使用した食器は専用の場所に自分で返しに行く。

タバコを吸う人はいるが、ポイ捨てをする人は無く、外でタバコを吸う人は皆、携帯用の灰皿を持っている(今回私もこの携帯用の灰皿を購入してきた)

公共の場所で犬を散歩させる人はビニール袋を持参し、犬がフンをするとそのフンをビニール袋に入れて持ち帰り、紙で地面を拭く。

私は人類の文明とゴミ処理は緊密な関係があると考えている。ゴミ処理のは4つの文明の段階に分かれる。

第一段階は「何処でも痰を吐く段階」であり、何処にでもゴミを捨てる。

第二段階は「集めて捨てる段階」であり、北京は現在この段階である。ゴミは集められて捨てられ、散らばらない。

第三段階は「分類処理段階」であり、日本はゴミを3種類に分類している。つまり可燃物、不燃物、ビン缶である。個人的には、北京を含む大部分の都市でまだこの段階には至っていないと考えている。

第四段階は「品質管理段階」であり、3種類の分類に留まらない。普通の人はコーラーを飲み終わるとそのビンをゴミ箱に捨てるが、日本人はビンについたラベルをはがし、そのラベルを可燃物のゴミ箱に入れ、ビンをビン缶用のゴミ箱に入れる。(ビンや缶の回収後に作業員がラベルをはがす必要が無くなる)

日本人は同様に、家庭で利用した醤油瓶を洗ってからゴミ箱に入れる。回収後に洗う必要があるからである。ムース等の缶は、まず缶に穴を空けてから捨てる。これは安全の為である。

補足となるが、日本の東京には大型のゴミ処理場があり、高い煙突が立っているが、煙突から煙が出ていない。またゴミ処理場の傍には必ず体育施設があり、ゴミを焼却した余熱でプールに温水を供給している。多くの人の健康増進と共に自身とゴミとの関係の理解ができる。人と環境が関連しているのである。

自分のことは自分で 社会に迷惑を掛けてはいけない

日本人は傘を持ち歩くことを好み、それも長い傘を持ち歩く(多く人は外出時に旅行バックの横に長い傘をさしておく)公共の場所では、内部にビニール袋が入った機械があり、傘を中に入れるとビニール袋に包まれ、傘を屋内に持ち込んでも水滴が垂れることがない。我々は日本に何日も滞在したが、晴れはたった1日だけであった。但し、じめじめとはしていなかった。バスにさえ傘立てが置いてある。ある名所を参観すると、室内に入る前にかさを外に起き、参観後に再度持ち帰るとこになっていた。もしも元の場所に戻らない場合、ビニール袋に入れて靴と共に持って参観する。出口にその袋を回収する箱があるのである。

日本人は非常に礼儀正しく、一日中お辞儀をしている。この種の行動は外側だけでなく、心の奥からの社会に対する認識であり、自己が非常に小さな存在であることを知っていると思われる。大きな会社の役員も頭を下げて歩き、少し眼を閉じ、自分を小さくして、自分の小ささを認識している。これは一種の境地であると言える。他人を高くし、自分を低くしている。

我々は2個所の大学を参観したが、中国の大学とは異なり、城壁が無く、立派な建物も無く、門に小さな学校名がかかれている一般的なものであった。トヨタのような大企業でも、本部ビルは豪華でなく、マークも小さく、非常に控えめである。高慢さが無い。

ある中国、米国、日本の3個所の大学で長い経験をもつ中国人教授が話したことがある。「中国が日本と同じスタートラインから走り出しても、我々が必ずしも日本に追いつけるとは限らない。国民の素質が30年違う」と話す。

我々はこのような話を聞きたくない。しかし、私は確実に国民の素質が異なることを知っている。(中国商業評論)

作者:汪中求 精華大学客員教授 品質管理研究の専門家 著書として「細部が勝敗を決める」がある。

長い記事ですので、コメントは短めに。

事実誤認が沢山ありますねね。まぁ1週間の視察ですから仕方が無いでしょう。そもそも中国の記事に事実性、正確性は不要です。

中国人の一つの特徴として「大げさ」なことが挙げられます。誉める記事は、極端に誉めちぎります。

誉めてはいるのですが、固定観念から抜け出せ無い部分はやはりありますね。実際に見たことの描写は誇張があってもそれなりに正確ですが、それを見ての分析がやはり来日前から持っている日本人像の枠から出ていません。

この記事、特集も組まれ、久しぶりに付属の掲示版も大ヒットとなっています。
posted by 元祖うぷぷ at 19:56| Comment(16) | TrackBack(0) | 反日記事(文化) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月15日

村上春樹が日本の教育が歴史を隠していると認める 史維会は「南京」を推進

2006年12月13日 中国新聞網 ソース(中国語)


中新網12月13日電 日本の有名な小説家村上春樹が先日取材を受け、日本の教育体系において中日戦争の時代の歴史が隠蔽され教えられていないと明らかにした。アメリカ・オンライン(AOL)の共同創始者のテッド・レオンシスが出資して制作された優秀な記録映画である「南京」が来年1月18日にサンダンス映画祭に出品される。現在彼は日本人を名乗る者から非難のメールを受けている。これに対して世界史維会の報道担当丁元は、「南京」の放映により、多くの主流社会による日本の第二次大戦の責任に対する討論が進むだろうとする。

米国「ワールドジャーナル(訳者注 世界日報 中国語新聞)」の報道によると、テッド・レオンシス(Ted Leonsis)は自分のWebサイトに「Ikaru Shoushimin」と名乗る日本人からの投稿があり、その「一人の日本人」は南京大虐殺が「歴史の事実なのでしょうか」とし、中日間に一致した見方は無いとし、「世界上で最も日本を恨んでいるのは中国人」であり、「中国は日本に対して劣等感と優越感を併せ持つ複雑な感情を持つ」とした。

世界史維会の報道担当丁元によると、テッド・レオンシスはたまた古いニューヨークタイムスの新聞の束の訃報に目が止まり、「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」の作者アイリス・チャンの精神に感化され、巨費を投じた。オスカーのドキュメンタリー賞をとったことがあるビル・グッテンタグ(Bill Guttentag)が監督を務め、ドキュメンタリー映画「南京」を撮影した。丁元は、今後大々的に上映されることになり「日本の右翼に大きな打撃を与えることができる」とし、中国人がこのテッド・レオンシスの努力に感動を覚えるなら、精神的な支持をすべきであるとした。

中国語の世界でも多くの読者を持つ日本の小説家村上春樹は、ホノルルでウォールストリートジャーナルの取材を受けた。12月9日に掲載された内容によると、村上は、「ねじまき鳥クロニクル」の際の活動で初めて日露戦争の「ノモンハン事件(1939年)」の深層を知り、日本軍の行動に驚き、この歴史上のことに「責任を持たず忘れられている」ことに疑問を投げかけた。

村上によると、日本では教育において中日戦争の時代を教えておらず、教師は「パンドラの箱」を背負わされている。「自分の経験からすると、教師は保護者や行政からの非難を恐れており、歴史の授業は大体1925年までで突然終わり、教師は学生に向かって"後は自分で勉強して下さい"等する」と話した。

丁元は、村上春樹の取材から、日本人の第二次世界大戦に対する反省とドイツ人のナチスに対する懺悔が全く違うことに注目している。

ウォールストリートジャーナルの記者エミリーパーカー(Emily Parker)は、中国や韓国は何度も日本が第二次大戦の責任をとろうとせず、特に人道に外れた「南京大虐殺」の責任をとろうとしていないと非難していると指摘する。村上春樹は、「ナチスはドイツ人の投票において政権を担ったが、日本は天皇制であり民主主義ではない。それゆえドイツ人民は自分自身に責任があると認めるが、我々日本人は邪悪や間違いは天皇制にあり、戦争に対しての責任を感じていない。」とした。

丁元は、優秀なドキュメンタリー映画「南京」が上映され、ウォールストリートジャーナルの村上春樹に対する取材記事が掲載されることにより、主流社会の日本の第二次世界大戦に対する討論が盛り上がるとする。「テッド・レオンシスの"南京"が日本で上映されれば、さらに大きな衝撃となるだろう。」 丁元は、テッド・レオンシス本人が多くの次元での討論が非常に健康的であると強調したことを紹介した。

12月13日は南京大虐殺記念日だそうで、お約束写真満載の特集報道(中国語)が組まれています。最も昨年に比べて穏やかな報道内容となっています。

さて、この記事ですが、有名人や外国人を出しての情報の格付けアップ、「歴史を知らない日本人」の印象付け等お約束の手口で構成されています。

村上氏の取材を行ったウォールストリートジャーナルの記事は確かにあるようです(題名 The Weekend Interview with Haruki Murakami: Who Will Tell the Story of Japan?) 有料記事なのでソースの確認はしていません。まぁ、どう見ても日本の歴史や制度を何も知らない人の発言であり、反省するドイツや、日本が民主主義国でないような言い回しは中共のいつもの報道パターンなので、この部分は村上氏の発言ではないのではないでしょうか。

南京大虐殺ですが、来年1月に公開されるもの以外にも、ハリウッドを巻き込んで数本制作される模様です。(南京虐殺を米監督が映画化 問題のベストセラーが原作(共同通信)) 最近、日本国内のメディアで中日友好報道が増強されていますが、全世界に広がる中共のメディア影響力は流石です。

只、私はこの南京のプロパガンダ、中共の裏目に出る要素がかなりあると思っています。

実は南京大虐殺、中国人や西洋人を交えて討論する際、非常に便利なんです。有名な事件であり、資料が揃っており、容易にプロパガンダであることが証明できますし、「大虐殺」繋がりでチベットや天安門等に話題を変え、さらに中国側を追い込めます。議論が固まってきたところで、西洋人に対しては「まさか君は共産主義者のプロパガンダ信じるのかい?」でOKです。

靖国カードがいつのまにか日本側のカードとなったように、南京大虐殺を突破口に「中共による反日プロパガンダ」が繰り返されていること、その裏で共産主義者による現実の大虐殺が続いていることを世界に広めることができると思います。

中共が何を主張しようが「また反日プロパガンダでしょ」の一言で片付けられる世論を世界でも作ることができるかも知れません。

如何でしょう、クリント・イーストウッド監督、「プロパガンダ・イン・チャイナ」なんて映画を撮ってみるのは? 金と女におぼれ、中共の犬となって反日映画と撮影するハリウッドの腐敗なんかを絡たドキュメンタリーとすれば、父親たちの星条旗以上に刺激的な内容に出来そうですよ。
posted by 元祖うぷぷ at 18:14| Comment(20) | TrackBack(0) | 反日記事(政治歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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