1975年8月15日、日本の首相三木武夫は「個人の身分」で靖国神社を参拝した。1978年8月15日、福田赳夫は内閣総理大臣の身分で靖国神社を参拝した。1985年8月15日、日本の首相中曽根康弘は公的な身分での正式参拝に成功した。1996年7月29日、元首相の橋本龍太郎は自分の誕生日に靖国神社を参拝した。2001年8月31日、日本の首相小泉純一郎は総理大臣の身分で靖国神社に参拝した。
日本の首相小泉純一郎は、就任すると直ぐに待っていられないかのように宣言し、首相の身分で8月15日に靖国神社に参拝した。これは直ぐにアジアの隣国の強烈な反対を引起こした。
首相の靖国神社の正式参拝は日本憲法違反であるが、長期に渡り日本右翼勢力は一途にこの禁区を打ち破ろうとしているのである。
2002年4月21日、小泉純一郎は燕尾服に黒ネクタイをして、神社の者と供に靖国神社を参拝した。
靖国神社は日本軍国主義者のアジア侵略戦争の精神支柱になった国家神道の核心施設であり、日本国民を戦争に走らせた悪い役割を演じた。今日の靖国神社はA級戦犯の位牌を祭るだけでなく、彼らを「神」や、「英霊」として祭っているのである。靖国神社は日本軍国主義者が武士精神を吹聴し、日本人民を騙して、「大日本帝国」の対外侵略、拡張に命を捨てる為の道具となったのである。
第二次大戦後、日本の官の靖国神社への参拝活動は減少した。しかし、日本経済の高度発展に伴い、その政治野心は膨張し始めた。歴史犯罪に対する責任から逃れる為、対外戦争の侵略性を薄める為、「国民感情」を尊重する為、「8月15日」の日本の敗戦日を内閣構成員が靖国神社に参拝する日と定めた。靖国神社は軍国主義の代名詞に変わったのである。
井上靖などの共著の「日本近代歴史」の本の中で、「このように切れ間無く戦争に向った国家は、近代世界の歴史上、日本以外にはない」としている。米国のジョージ・フリードマンとメレディス・ルバートも「日本はもともと信用に値する平和主義ではない。一つの国家として、言論不一致である」としている。この二つの言葉は、日本の近代史を総括しているのである。
日本人はアジア人民の靖国神社に対する態度をよく知っているにも関わらず、頑なに天に逆らい道理のない年に一回のひれ伏しての参拝をしている。この種の行動は、武士道の劣った軍国主義の劣性をよく表しているのである。
武士道は日本民族を侵害しており、国民の意識を毒化させ、軍国主義を担ぎ、戦後の日本の軍国主義の傾向を引起こしているのである。この点は特に注意しなければならない!
靖国神社の前身は「東京招魂社」であり、1869年に明治維新の前後の内戦で死亡した軍人の追悼の為に設立された。明治時代日本の国家神道の確立と対外拡張の需要により、1979年日本明治政府は東京招魂社を日本靖国神社と改め、天皇の名において、戦死した軍人を「軍神」として美化し、靖国神社に位牌を安置した。定期的に祭られた「神霊」は250万以上であり、その大部分は対外侵略戦争によって死んだものである。
写真
P274 前章日本の核(訳してません)
P279 靖国神社挿絵
この筆者はA級戦犯を狙い撃ちにはしてませんね。善良な日本市民と右翼勢力の分離は教科書どおりですが。
引用された書籍のなかで、井上靖はご存知の方も多いと思いますが、長年中日友好に寄与した人物として中国で評価が高い人物です。ジョージ・フリードマンとメレディス・ルバートはかつてジャパンバッシング全盛の米国で「第二次太平洋戦争は不可避だ」という本を出しています。まぁ分かりやすい引用ですね。
明日はお休みします。明後日最後の筆者の意見部分を訳します。
中英首脳が会見 対中武器禁輸問題も話題に(人民網日本語版)
抗日戦争は反ファシスト戦の重要部分 党宣伝部長(人民網日本語版)
シベリア油送管は中国優先 日本向けは新規開発が前提 (産経)
事後になりましたがよろしくお願いします。
ところでこの井上靖氏は『天平の甍』の作者のあの方なのでしょうか?この方が「日本近代歴史」なんて歴史本を書いたという話は聞いたことがないのですが。
検索してもヒットしませんでした。
『日本近代史』井上清
もっとも、ここで取り上げられている文章の確認まではしていません。
すみません、その部分のソース写真を掲示していないんですね。中国語のソースでは「井上靖」の「日本近代歴史」となっています。お二人のご指摘で調べなおしました。
どうも、「日本近代史」井上清/鈴木正史が正解のようです。中国語で調べると「日本近代史」井上靖/鈴木正史が大量に出てきます。つまり、作者名、書名ともに間違いのようです。