2005年06月22日

反日漫画 論日本 史太郎物語 豊臣秀吉

網易文化 2005年05月19日 史太郎物語ソース(中国語) 豊臣秀吉ソース(中国語)


<<史太郎物語>>

日本中に名前が知れ渡っている史太郎は、武功にすぐれた強い男の子で、村のみんなの自慢であった。

海深くに巨人の島があるとの言い伝えがあり、史太郎は村人と別れ、単身船で島に着き、巨人と乱闘する。

最後は史太郎の優れた武功で巨人を切り殺し、巨人の大量の財宝を奪いとった。

論 孫悟空と史太郎の違いは、中国と日本の有名な人物の違いである。孫悟空は唐僧を助け天竺へ経文を取りに行き、道程で妖怪を更正させ、闘い、様々な経験をする。一方、史太郎は理由もなく略奪をし、異民族を殺し、それをもって光栄とする。孫悟空と史太郎は本質的に違いがある。

史太郎と我が国の孫悟空は本質的な違いがある。。。。

史太郎は征服者の身分で喜んで村に帰り、村の老若男女の烈々な歓迎を受けた。彼は英雄の手本となったのである。

<<豊臣秀吉>>

豊臣秀吉(1536-1598年)は尾張愛知郡の貧しい農民の家庭に生まれ、織田信長の家来として仕え、戦場で数々の戦功をあげた。

1582年本能寺の変で織田信長は自害し、豊臣秀吉は直ぐに京都に戻り、山崎の合戦で謀叛軍を打ち破り、織田信長の孫を主君とした。

1583年豊臣秀吉は正式に幼い主君の代理から主君となり、統一の大業に着手した。

1590年、豊臣秀吉は最終的に全国統一を成し遂げ、対外拡張である朝鮮と中国への侵略を意識し始めた。

1592年、豊臣秀吉は李氏朝鮮の統治者間の内輪もめを利用し、おいを大将にした16万の大軍で朝鮮を侵略した。

李氏朝鮮の政治は腐敗し、防衛が緩んでいたことは、日本の迅速な進軍を許した。日本は20日もかからないうちに首都の漢城を陥落した。

朝鮮は中国明朝に対し救援を要請し、1592年末、明朝は李如松を大将にする4万の増援を送った。

中朝軍民の共同の抵抗、反撃により、日本軍は大敗し、朝鮮は平壌を取り戻した。日本軍は南に向って敗走した。1597年、日本軍は再度14万の軍で朝鮮を侵略し、朝鮮の民族英雄李舜臣と中国の蒋、領トウ子龍の共同抵抗、反撃により失敗に終わった。

豊臣秀吉はアジア大帝国を夢め見て、1952年と1956年に2回朝鮮を侵略したが、両方とも失敗に終わり1598年、内部権力争いの激化の中、病気で死去した。

論 豊臣秀吉

豊臣秀吉の時代から日本の戦略家は中国を滅亡させるための綿密な計画の研究と制定を始めた。この計画は日本人の数百年フ研究の賜物であり、彼等は中国の資源、人文、地理等の多くを理解している。その陰険な綿密な計画は多くの中国人が恐れるものである。

豊臣秀吉の時代、日本は21万の大軍で朝鮮を攻め、朝鮮を基地として使用し、中国を征服しようとした。豊臣秀吉の計画では、中国の占領後は北京に都をおき、朝鮮王を日本に移し、中国の統治が強固になってからは、青蔵高原を南下しインド、西欧に征服しようとした。これはまさに日本のその後のいわゆる大陸政策の統一戦略なのである。



写真をご覧ください。
P7 史太郎の略奪
P8 史太郎 論 XXXの部分
論 XXXの部分はまさしく「ごーまんかましてよかですか」の劣化コピーですね。少しはオリジナルでやればいいのに。

まず「史太郎物語」ですが、ネットで検索をかけても、アニメの「忍者史太郎」ぐらいしか日本語のソースは見つかりません。本当の日本の物語なんですかね。中国人は結構知っている「日本の」物語のようなんですが。存在していたニしても、日本人すら知らないマイナーな物語を大々的に紹介したところで何の意味もないような気がするんですが。

この一話を読んだだけで、筆者に「日本人の協力者」が全く存在せず、「日本語が分からない」、「基本的な日本の知識もない」ことは明白ですね。 この手の言いがかりをつけるなら、もっといい題材がありますよね? そう「桃太郎」です。桃太郎は鬼ヶ島に子分を従えて攻め込んでますしね。この文を読んでいたら第2版からコッソリ差し替えたらどうですかね。あっ日本語読めないか。

「豊臣秀吉」の時代から日本人は中国滅亡計画を立てていたんですか。そうですか。非常に長い計画を立てる民族なんですねぇ。豊臣秀吉の朝鮮出兵は攻め込んだ先が「朝鮮」という現代の政治的な問題もあり、日本国内でもあまり評判がよくないですね。だだ、世界史的に見れば、スペイン全盛の時代であり、植民地獲得争いが絶えなかった時代ですから、中国はともかく、身近な弱小国朝鮮を植民地にと考えるのはある意味当時の政治家としては当然の思想だと私は思うのですが。

中国総領事館脅迫で男逮捕 反日fモへの嫌がらせ(産経)
靖国参拝「核心でない」 首相、対中韓関係で答弁(朝日)
靖国参拝問題:「日本は歴史に正しい態度を」−−中国外務省(毎日)
ニュース分析:「冬」の様相呈した韓日首脳会談(人民網日本語版)
都市人口間の所得格差、10.7倍の地域も 国家統計局(人民網日本語版)
中国経済は急速な冷え込み 雇用に影響(大紀元時報-日本)
電撃で変容した顔写真を公開した中国人女性、迫害により死亡(大紀元時報-日本)
posted by 元祖うぷぷ at 23:02| Comment(7) | TrackBack(0) | 反日漫画(論日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
好きな新聞である新京報も、日本特集をやってました。中国人の理性的に、はこの程度です。結局その辺のおばちゃんと認識は変わらないという内容でした。
http://duan.exblog.jp/516756

『水滸伝』の武松が日本に渡って武太郎と名乗り、日本人の祖先となったという伝説も、結構中国人の間では有名らしいですが、不勉強で知りませんでした。お返しに、チンギスハーン=義経とでも流しておきましょうか。
Posted by aquarellisute at 2005年06月23日 00:20
まあ、侵略と言われてもやむなしですが、いつの時代ですかとか、自分達はどうなのかとか思うわけです。

朝鮮は単なる明への通路ですよ。欲しかったわけではありません。もっとも、当時の秀吉にちゃんとした知識、判断力があれば目的、結果とも違ったかもしれません。満州族に征服されたぐらいですからね。

中国人は昔はもっと頭が良いと思っていたのですが、最近は韓国人並みになってきましたね。
Posted by r-ib at 2005年06月23日 00:40
あのー、元祖うぷぷ さんが挙げている、アニメの「忍者史太郎」というのも初耳なのですが、それってNHK教育テレビで放送されているアニメ『忍たま乱太郎』のことですよね?(原作は漫画「落第忍者乱太郎」)
Googleで検索したら中国語で一件ですが“忍者史太郎”ありました。もしかして、これを見て元祖うぷぷ さんも間違ってしまった?
http://www.channelm.cn/detail.asp?id=1371
Posted by ネジ at 2005年06月23日 19:52
豊臣秀吉は確かに中国(明)を攻める計画だった筈...。
徳川幕府は中国を攻める計画を行わなかったので
>豊臣秀吉の時代から日本の戦略家は中国を滅亡させるための
>綿密な計画の研究と制定を始めた。
というのがちゃんちゃら可笑しいのは同意ですが。
そもそもそんだけ時代が変われば昔の計画なんぞ使えないわけで...。

あと、何か文字化けしてるみたいですよ。
Posted by normad at 2005年06月24日 09:32
>aquarellisuteさん
水滸伝にも史太郎が出ているようです。
>r-ibさん
調べて直してみたら、たしかに「朝鮮は単なる明への通路」が史学的には正しいみたいですね。すみません、訂正します。(本文の間違いは後続のコメントで修正し、本文自体は通常触りません) blog等では様々な意見があるみたいです。秀吉は信長の対外政策の影響をうけていたとの情報もありました。
>ネジさん
すみません、その間違いです。「忍たま乱太郎」に修正します。でもなんで乱を史にする必要があるんでしょうか。
>normadさん
文字化け修正しました。トウ小平のトウの字はなぜだが文字化けします。
Posted by 元祖うぷぷ at 2005年06月24日 20:05
前半は金太郎、後半は一寸法師みたいな話しですね。
Posted by at 2005年06月27日 22:03
Posted by at 2005年07月12日 18:16
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