2005年05月10日

第二次大戦の中国の貢献 日本軍を勝利の時の為に牽制 その1

三泰都市報 2005年05月10日 ソース(中国語)


世界人民がファシズム侵略者に対して勝利してから、すでに60年が経過した。時は流れ、霧は晴れた。我々が目にできる歴史の全貌は、世界の人民がドイツ、イタリア、日本のファシズム侵略集団に対して相互に支援し、共同で勝利したのということである。この中で、中国人民は反ファシズム戦争に対し早くに立ち上がり、抵抗期間が最も長く、戦場が最も広く、陸軍の作戦規模が最大であり、日本軍を牽制し消滅させた数が最大であり、犠牲が最も多く、そして世界反ファシズム戦争最後の勝利に巨大な貢献をしたのである。

5月9日、ロシアはモスクワで盛大な反ファシズム勝利60周年の記念を行い、我々にあの悲惨な年月の記憶を思い出させた。歴史学者の王振徳は昨日取材に応じ、「中国人民は反ファシズム戦争に対し早くに立ち上がり、抵抗期間が最も長く、戦場が最も広く、陸軍の作戦規模が最大であり、日本軍を牽制し消滅させた数が最大であり、犠牲が最も多く、そして世界反ファシズム戦争最後の勝利に巨大な貢献をした」と述べた。

日本の侵略者の野心は巨大であった。「九・一八」中国侵略開始から、中国を侵略するだけの簡単なものではなく、同時に「北進」しソ連を攻撃し、「南進」し、英米の植民地を奪いとる重要な処置を行ったのである。日本の侵略者は、「ソ連への作戦では満蒙が主要な戦場になる。米国への作戦では補給の源泉となる」とし、「九・一八」中国侵略戦争を発動する。「同様の程度で」、旧ソ連から米国、英国に至るまでの大戦争の危険性をあらかじめ示しているのである。そりゆえ、日本の侵略者は中華民族の敵だけではなく、米国、英国、ソ連の敵でもある。中国の抗戦は、局所的な戦争段階(1931年-1936年)において、世界人民の反ファシズム戦争と分けることのできない部分となるのである。

「七・七事変」に至り、日本の侵略の野望はさらに徹底的に暴露される。1936年すなわち「七・七事変」の前年、日本は「基本国策」を制定し、日本は「東アジアの平和勢力」になる必要があると規定した。その国策は同時に、「陸軍の軍備をソ連の極東地区で使用可能な兵力に対抗することを目標」とし、「海軍の軍備は米国海軍に対抗し、西太平洋の制海権を抑えることを目標」にした。簡単に言えば、日本は西の中国を侵略し、北のソ連を攻撃し、南の米英を攻める均衡基本戦略方針をとったのである。非常に明らかなのは、日本の侵略計画は、「中国への侵略は不完全で主要目標ではない」ことであり、「陸軍はソ連を攻める意図」があり、「西側各国が目標である」ことである。

中華民族は8年の苦しく卓絶した戦闘を行い。1945年8月、終に世界人民が反ファシズム戦争偉大な勝利を手にしたのである。


今年は「反ファシズム勝利60周年」だそうで、この手の記事が多くなると思われます。この手戦争物の記事は非常に難解で長い場合が多い為、今まで訳してこなかったのですが、比較的短いまともそうな記事があったので訳してみました。

文中の用語は、「九・一八」は1931年の満州事変(Wikipedia)、「七・七事変」は1937年の蘆溝橋事件(Wikipedia)のことです。

記事中にあるロシアで開催された「反ファシズム」勝利60周年ですが、中国という隣人さんで「祖国防衛戦争勝利記念」ではないかと指摘されています。日本のマスコミ等では「対独戦勝記念」が多いみたいですね。いずれにせよ「反ファシズム」云々ではないですね。私はもう慣れてしまい、気が付きませんでした。

ここまでの文章は特に斜めの部分はないような気がします。

明日、続きを訳します。
posted by 元祖うぷぷ at 18:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 反日記事(政治歴史) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
中国自体がファシズムなんじゃないですか。
反ファシズムというなら共産党独裁はやめたほうがいいですよね。
 殺人王 胡錦濤様
Posted by at 2006年01月09日 01:56
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