2006年03月28日

日本の青年 中国は米国に学ぶべき 参拝行為を邪魔すべきでない その2


歴史の固有の認識は変えにくい

柯金花:私は日本の対中友好組織である創価学会と接触したことがあります。彼らの多くは歴史に責任を持たない態度に反対し、小泉の靖国神社参拝を道徳、常識に反する行為であると考えています。でもなぜ小泉を選ぶのか?彼らは言います。日本経済の発展の為に小泉のような人が必要だからだと。実際、歴史に関してはの交流が頻繁な一部の日本の青年とのみ話し合えます。しかし、彼らは、日本の教科書は歴史を歪曲しているが、中国の歴史書に歪曲はないのですかなどと聞くのです。彼らは歴史の事実に対して非常にあいまいであり、日本が南京で30万人を虐殺したことをあまり信用していません。また、多くの人は日本人も傷つけられたと言います。例えば宮崎駿の「火垂るの墓」は第二次大戦末期を描いたもので、父は出兵し、母は空爆で死に、兄妹も死ぬという悲惨な物語もあります。

于悦:私はかつて日本の青年と激しく討論したことがあります。彼の反論は典型性を持っていました。彼は中国人がいつも日本とドイツを一緒にするのに反対し、ドイツがユダヤ人を殺したのは意識的、組織的であるのに対し、日本人は中国人を皆殺しにしようとはしておらず、死傷者は戦争行為によるものであると考えています。靖国神社問題に対し、多くの若者は日本の伝統により、彼らの祖先は死後に神となり、彼らが生前になにをしようと、死後は神として祭られ、戦争や戦犯は関係ないとします。そしてこれを日本の伝統であり、外国は理解すべきであるとします。これらの日本の青年は中国は日本を学ぶべきだとまで考えているのです。日本は第二次大戦中米国の空爆と原子爆弾を浴びましたが、だからと言って日本人は米国人を恨んでいないのに、なぜ中国はこのようにできないのかと聞いてきます。これらの歴史観は、一旦形成されると変えるのは大変難しいでしょう。あとこんな例もあります。日本の天皇誕生日の宴の会は老人が多く、青年は多くありません。ある日本の学生は私に言うのです、天皇はお爺様であるからですよ。日本の青年の歴史観は単純であるといえます。

馮全普:多くの日本の青年は歴史を学ぼうとせず、考え方が短絡的で、非常に極端になりがちです。彼らの歴史に対する見方の基礎は教科書からの由来になります。日本の扶桑社の右翼歴史教科書は、1%の学生しか使用していませんが、扶桑社は資金があり、教科書の改訂も頻繁で、多くの試用品を配り、多くの学生に好まれ、大学受験をする多くの学生は皆買って行きます。つまり、潜在的な影響は非常に大きいといえます。また、メディアの影響もあります。日本のメディアは中国のマイナスの報道が多く、常に中国を罵っています。それゆえ、日本の青年は正確な歴史教育を受けたことがなく、彼らは戦争の発動のみをしり、誰もその可否の判断を下さないのです。私は外務省にも友人がいますが、毎回彼と歴史の話をすると、彼は全て過去のことだとしか言わないのです。

夏維勇:実際、両国学生の戦争に対する共同認識もあります。しかし、深く討論すれば、両国の青年は本国で受けた教育を出発点にして、自己の歴史観を構成しているといえます。


昨日の記事で「中共にとって戦争は一つの政治的な道具なだけ」とサラッと書きましたが、今日の報道で「歴史を基礎にするな」中国政府系元所長が対日転換論(読売)なんて記事もあったようですね。ただの政治カードであるとの認識が日本ではかなり広まってますが、中共は正面からは認めるわけにはいかず、なかなか難しい舵取りになりそうです。ただ、様々な問題で対中包囲網がかなりのスピードで築かれつつあり、この程度のカードは外交的には放棄までは行かなくてもかなり変更する可能性はあるのではないかとも思えます。もっともそれを期待できるのは安部首相もしくは麻生首相誕生後のタイミングでしょう。

記事の内容ですが、前回の左に寄ってる団体に続き、創価学会が出てきてますね。

この中国人たちは正確な歴史教育をうけて、事実を知っていると思い込んでいますね。それに対して反論する日本の青年を日本の青年の歴史観は単純である歴史を学ぼうとせず、考え方が短絡的で、非常に極端等と切り捨てています。自由な国に行くチャンスがあっても、結局はそのチャンスを生かせてませんね。まぁ、予想どおりですけど。

明日、最後の部分をUPして、まとめます。
posted by 元祖うぷぷ at 21:06| Comment(19) | TrackBack(1) | 反日記事(日本国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
創価が出てくる時点でもう死んだ記事ですね・・・・・

日本の青年の歴史観は単純である、歴史を学ぼうとせず、考え方が短絡的で、非常に極端
>中国の青年・・・と幼年と老年とかの歴史観は単純である以前に歴史観ではない、歴史を学ぼうとせず・・・というかこの国に歴史は存在せず、考え方が短絡的で・・・というか何も考えてはおらず、非常に極端
Posted by カラマーゾフ at 2006年03月28日 22:22
地球市民系日本人に加え、唯我独尊系宗教団体の日本人ですか。あとは「右傾化する日本社会とは一線を画し、常に良識を保ち続けるアサヒ新聞」あたりが出てくればオールスターキャストですね。

>扶桑社の右翼歴史教科書は〜大学受験をする多くの学生は皆買って〜

またウソを…。単に多く流布したと言いたいだけなのでしょうが、深読みすれば「日本の大学教育には、そのときどきの政府の意向が強く反映される」という示唆、なんでしょうな。
Posted by A7M3改 at 2006年03月29日 02:20
内容は扶桑社を潰すため多くの資金が必要、教科書次第で簡単に洗脳できるってことでしょうか

最後の外務省はマトモな人だと在り難いのですが。
Posted by a at 2006年03月29日 02:55
馮全普同志。君の意見は事実に基づいていないな。君は実は日本に留学してないだろう。日本にいたあいだどこにいたんだ?
Posted by 木綿 at 2006年03月29日 07:45
昨年5月反日デモの後に天津へいって現地の女の子から日本の教科書問題について尋ねられた際に、「問題は過去の事実をどう解釈するかだ」と答えたら、「どの国にだってそれぞれの歴史観があるのは当たり前じゃない」という先方のレスには以外でしたね。

ただ、中国の場合こういう意見が公の場で流れることはまずないでしょうし、彼女だってテレビカメラを向けられると違うことをいうかもしれない。

だから、公共のメディアでお決まりの意見がでる場合、私的には中国人は別の考え方を持っていると、見ることもできるわけです。ただ、台湾問題に関しては
中国人は公私共に見解が分かれることはありませんが・・・
Posted by ヤオミン at 2006年03月29日 08:34
 一種の“被害者酔い”というやつかな。これが意外と気持ちいいんですよ。一方的に“加害者”を責め立てる快感と言ったらもう・・・。
Posted by ddzggcd at 2006年03月29日 09:03
 訂正。「勝手に“加害者”と見なす対象を一方的に責め立てる快感」だね。なにしろ日本人であるだけで何の根拠もなく“加害者”に見なされてるんだから。自己愛人格障害国家を相手にするのは、本当につらいねぇ。
Posted by ddzggcd at 2006年03月29日 09:56
以前、TVのニュースで見た話です。
沖縄の「ひめゆりの塔」に献花し、黙祷する多くの日本人を見て、観光に来ていた中国人団体客の洩らした感想に唖然としました。
「怖いですね。日本人は中国でしたことの反省もなく、戦争を賛美している。過去の栄光が忘れられないから、日本はまた戦争を起すと思います」

過去の栄光!? 一体何が過去の栄光なんでしょう? 「ひめゆりの塔」ですよ。靖国神社でも護国神社でもなくて。
その後、ブログ等も含めて、これと似通った中国人の発言に何度か接しました。「日本人は過去の栄光が忘れられないから・・・」 
こうした発言は、中国人の心情を日本に投影しているだけだと、今は理解しています。
アジアを支配した過去を”栄光”だと感じ、忘れられないのは中国人です。アジア覇権を復活させたいのも中国人なんです。

自由な国で、多様な情報を得る機会があったとしても、人間は生まれ育った文化や教育の範囲内でしか物事を判断できず、理解することも出来ないのかもしれません。
Posted by かおる at 2006年03月29日 10:06
つい最近まで受験生でしたが、扶桑社の受験参考書なんて殆ど見かけませんし
自分は一度も使いませんでした
どうも中国は、日本人が悪の枢軸「扶桑社」を信奉していると思いたいようですね

また日本の青年の部分、青年を代表させて言わせてもらえば
上記のような意見を持っている人は少ないです
もっと理論的で多用な意見を持っている人が多いですね

というか、小泉の経済改革ね……
どう考えても日本を悪くしているようにしか思えないのですが……
Posted by いかめし at 2006年03月29日 11:21
日本の「右傾化」には扶桑社の「右翼歴史教科書」よりも江沢民氏の果たした役割の方が大きかったと思います。

江沢民先生は正に偉大な愛国主義の教師ですね!彼が日本について何か発言するたびに日本の愛国者が増えましたから。
Posted by 富士 at 2006年03月29日 12:37
江沢民先生は偉大なオポチュニストですから。その発言も大変日和見的ですばらしいです。

やはり天安門のとき上海の民主化要求学生に「ふむ、わかっちょる。北京での活躍を期待しているぞ。」とか、調子のいいこといって、まとめて北京へ送り出して上海から厄介払いしたという話は本当なんでしょうかな。誰か知っている人いませんか?特に天安門に参加してた現在30代後半の中国の方。
Posted by 木綿 at 2006年03月29日 13:03
以下完全に脳内補完だが、
なんとなくこんな解釈もありかなと思い書き込んでみた。
「日本はまた戦争を起す」と思い込んでいる中国人たちは、
実は第2次世界大戦についてかなり詳しく知っているのではなかろうか。
日本は戦力では不利なのにもかかわらず、
欧米諸国を相手に戦争を仕掛けた。
結果、戦争に負けはしたが、
本来の目標であるアジア諸国の独立が早まった。
また、当時日本が統治したアジアの国々は決して日本を嫌ってはいなくて、
戦後も日本寄りの立場に立ってくれている。
本来なら欧米諸国から独立させる英雄は、
長い間アジアのトップに君臨していた中国でなくてはならないにもかかわらず、
そのお株を日本に奪われてしまった。
中国人にとってこの事実が非常にうらやましいのではなかろうか。
第2次世界大戦によってそんなうらやましい立場となった日本なのだから、
その味を忘れられないに違いない。
だからきっとまた戦争を起すだろう。
こう考えれば未だに特亜が日本の軍事化を恐れる理由がわかるような気がする。
もちろんそんなことはないんだけどね。
日本人自身が第2次世界大戦についてほとんど知らないんだし。
そこにつけこんで特亜はひたすら日本の負のイメージだけを日本人に与えるべく行動している。
うん、これで全部つながったかなw
まぁ、反日を進める中国もあれだけど、
第2次世界大戦についてあまり教えない日本もあれだよね。
正直先土器やら縄文やらを教える時間があるなら、
現代について教える方に回した方がいいと思う。
そもそも日本の教育は全然ダメ。
ゆとり教育だってそのために用意したカリキュラムを担当できる先生が少なくて挫折。
おかげでますます中学高校の受験戦争が激化。
誰がかわいそうってそんな大事な時期の教育を、
きちんと準備されていないにもかかわらず受けなくてはならなかった生徒達がかわいそうだ。
人の進路を決める大事なセンター試験もマーク式という手抜き。
そんなの先進国では日本だけ。
斜め上を行く教育をどうにかしなくちゃ日本の将来は暗い。
そう思って政治家目指す人いるんだけど、
その人たちには学生時代感じたことを失わずにがんばってもらいたいものだ。

Posted by J7W1 at 2006年03月29日 15:16
中国という国が存在したときから、中華圏は中国を絶対上位とし、周辺国は未開の異民族で、征服、教化する対象ではあっても、決して対等な存在としては扱いませんし、現在でも周辺国の直接的な支配は限定的ではありませんが、その姿勢は変わってはいません。
問題なのは、日本、日本人が平和ボケに過ぎて堕落しており、戦争などとても望んでいないとか、そんなことはどうでもよく、中国が日本をどうしたいのか、先の大戦の日本の行った許されざる行為、すなわち絶対な存在の中国を支配しようとした周辺異民族、小日本にどうおとしまえをつけたいか、中国の中華帝国戦略がどうなのかそれだけです。
それにむかって中国はひたすら突き進んでいます。まずは欧米に二度と手を出させないための核開発が最優先であり、現在の戦略目標は台湾の支配と、次はいよいよ日本への復讐ということです。
その一環、目に見える反日政策として反日捏造歴史教育があり、対談で出てくる中国人の偏向ぶりがあるわけです。
Posted by at 2006年03月29日 18:35
どうでもいいが仮にもコミーが創価学会なんて宗教組織持ち上げんなよ。もしかして公然の秘密?対中友好組織なんて紹介のされ方だし。実際のところ中国では創価学会はどんな組織として認識されてるんでしょうか。
Posted by logia at 2006年03月29日 22:21
サイトハケーン
ttp://chs.sgichn.org/sgichn/index.php?id=65

一般への浸透は分かりませんが、SGIが胡錦濤(江沢民時代の)に会った!日中改善は会長の提言から!などと熱い広告を打っているのは、ダテじゃないかと。
Posted by りえたん at 2006年03月29日 23:51
興味がないというか、今の中国、朝鮮は反面教師としか見る価値がないので、そうなります。
強いて言えば、嘘か真か信用できるかどうか今となっては怪しいが、中国ん千年の歴史の中で文化とか見るべきものはありますが、それらは全部過去の事だけであって、現在には何もないから仕方ありません。
Posted by at 2006年04月01日 17:26
「火垂るの墓」は宮崎じゃなくて高畑だね
Posted by at 2006年04月18日 22:31
優美で平和な中国の領土、熱河に私が攻め入ったのは、1942年4月中旬であった。

 新参憲兵として、承徳憲兵隊に到着したその日、隊長憲兵中佐安産次郎から、私がそれまで抱いていた、中国に行けば人殺しができ、しかもそのことが何よりの日本男子として名誉なことであり、忠君愛国の表現であるというあの大和魂により、一層の鼓舞を受けた訓辞を聞かされた。それは今もなお、私の脳裡にはっきりと残っている。

 隊長安藤は、わざと威厳を作るため肩をいからし、髪を片手で撫でながら…

 「君は覚悟はできているか、この熱河は満州で一番治安の悪い、中国共産党の巣窟だ!ここに住んでいる中国人は、皆共産党員の匪賊であり、その親戚の奴らだ。したがって我々日本の皇軍、就中、憲兵がこの匪賊を一人残らず粛正する事は非常に重要な責務である。男、女の区別なく、全部捕まえてしまえ!そして使いものにならん奴は、子供だろうが老いぼれだろうが、全部殺してしまえ!なまじっか情容赦する事はかえって敵を残すことになる。さらに匪賊どもの根を絶つために、建物の一切はもちろん、草木一本も残してはならぬ…」と。

 私は今考えれば、隊長のこのような残忍野蛮な命令に、当時は男と生まれ日本帝国軍人として、遠く海を渡ってやって来た出征の意義を見つけ出し、故郷の人々が旗や織(のぼり)で私のこの出征を祝福してくれた気持ちと期待に応える途こそ、この隊長の命令を忠実に実行し、この命令に自分の生命を捧げて一人でも多くの中国人を殺し、一軒でも多くの家を焼き払う事であり、またそのことのみが生みの親への孝行であり、天皇への忠義であり、さらにその事が自分の将来の栄達と幸福を保証する唯一のもので、あわせてそれは日本国民の利益であると、私は有頂天になっていた。

 そして私は、丸3年半熱河の各地を、泥棒猫のように中国農民の隙を狙っては襲いかかり、償いのなし得ない、大きな犯罪を積み重ねて行った。

 1943年3月19日、放火と掠奪殺人の専門組織であった、承徳憲兵隊第二憲兵遊撃隊の一員として、熱河省興隆県芳山地区の侵略行動をしていた時の事である。約150名の憲兵が三隊に分かれて、長城県に程近い芳山西方の丘陵地帯に散在する中国農民の家屋を襲い、部落民を全部捕まえ、若い男を除き、他は全部射殺してしまえ、という遊撃隊長生田省三憲兵大尉の命令で、私の所属する佐藤分隊の十数名の憲兵は段々畑にかこまれている窪地にむらがっている十数軒の農家を襲うことになった。

 

 私は何という人でなしの鬼畜であったか…。

(うえまつ ならかず 中国帰還者連絡会会員)

【略歴】

1920年、奈良県主まれ。
1941年より軍隊に入るまで私鉄労働者(運転手)。
1942年、憲兵軍曹として熱河、錦川に播踞

Posted by 正義 トウカイ at 2006年12月25日 16:26
中国帰還者連絡会(中帰連)は中国の撫順戦犯管理所に抑留された旧日本軍の軍人が帰国後の1957年に結成した団体。中帰連。731部隊、南京大虐殺、強制連行などについて積極的に証言を行うことで知られる。

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当時、中国大陸の撫順にいる戦犯たちは「思想改造」のまっただ中にありました。それはのちに「天皇制軍国主義思想から抜け出し、新しい人間に生まれ変わった」と評価されるほどのものでした。「戦犯」管理は周恩来が指揮しました。「戦犯の人格を尊重し、侮辱したり、殴ったりしてはいけない。死亡者、逃亡者を出してはならない」。過酷なシベリア抑留とは天と地。国際法に基づいて処遇され、城野の太原監獄とも違って、日本式の食事が一日三食与えられました。「一人ひとりの人格を尊重する。思想面から教育と改造を行う」が政策だったのです。

 五〇年秋、朝鮮戦争が激しさを増し、撫順が戦火にさらされました。「戦犯」たちはアメリカの勝利を確信していましたが、中国人民解放軍の参戦でアメリカ軍は後退し、やがて停戦。「戦犯」たちは衝撃を受けました。このときから日本人「戦犯」の態度が変わったといいます。「献身的に世話する職員を尊敬するようにさえなった」というのですが、むしろ「あきらめと受容の心境」だったのでしょう。

翌五一年九月、サンフランシスコ条約が調印され、翌年から連合国関係戦犯の赦免・減刑が具体的に動き出しますが、冷戦まっただ中にあって、条約に調印しなかったソ連との戦犯赦免交渉は遅れ、「竹のカーテン」を隔てた中国との交渉はさらに遅れました。

 朝鮮戦争の休戦後、撫順では「学習」が始まりました。「ダモイ(帰国)」の夢は破れ、米軍による解放の希望も消えて、嵐のような「認罪」運動が起こったといわれます。「自白すれば罪は軽く」のチラシが貼られて、「逃げ場」はなくなったのです。

五四年一月、「戦犯」の罪状調査が本格的に始まりました。審問と調査に基づいて起訴状が作られます。死刑七十名、無期以下百十名。しかし周恩来は命じました。「一人も死刑にしてはならない」。周恩来は未来を見据え、「侵略戦争で罪を犯した者が反省し、その体験を日本人に話すことは、中国共産党員が話すより効果的」と戦犯の政治利用を考えていたのです。

帰国した「戦犯」たちは「中国帰還者連絡会」を組織しました。目的は「中国侵略に参加し、幾多の罪業を犯した者が人道的反省の上に立って侵略戦争に反対し、平和と日中友好に貢献する」ことでした。中帰連初代会長は藤田で、終生、その地位にあり、「中国が期待したとおりの後半生」を送ったといわれます。

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ソ連軍が旧満州を侵略し、日本軍捕虜を66万余、かっさらっていった。この事実は誰もが知っている。1950年に、この日本人捕虜のうち、中国は969人をソ連から引き取った。かれらは撫順収容所監獄に入れられ、連日連夜、徹底的に洗脳された。そこには長期的な戦略意図があった。

 「注目すべき点」として田辺氏は指摘する。

 「多くが北支で主に中国共産党と戦った、39,59,63,117師団という四個師団の将校」だった事実。ボロ負けにまけた恨みを晴らしたのだ。

 彼らを連日、洗脳し、「ふたつの態度と二つの道」といって、でたらめな自白をした人が帰国を許され、最後には「自白」しない将校を若手がつるし上げ、なかには自殺した軍人もいた。

 筆者も撫順の「収容所址」を見学に行った。この施設のミソは、皇帝・溥儀のベッドやら、使った風呂が展示されていること。また写真パネルの多くは、中国各地にある「反日」と同じだが、「中帰連」の寄せ書き、「中帰連」の反省文と証言が夥しく飾られていた。

 この組織こそガンだ。

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中帰連の方々は自分が強姦魔であったり、殺人鬼であることを高らかに白状しているわけだが、それをすべて日本軍や日本国のせいだと言っているのだ。
世の中には人一倍性欲の強い人間や、粗暴で人を殺しても何とも思わない人間が、一定の割合で実在するのである。
そんな奴が軍人になり、殺人や強姦を犯したら、それは個人の資質のなせることであり、そんな個人犯罪の責任まで追及されたら軍や国はたまったものではない。
そして、悪行が凄ければ凄いほど、日本軍は極悪非道な存在になるというわけだ。

彼らの自供が「強制された嘘」ではなく、「自発的に語った本当のこと」なら、要するに殺人嗜好、強姦癖の人間が自分の罪を軍や祖国になすりつけ、本人は免罪された、ということである。

帰国のための方便として、洗脳されたふりをして、帰国後は供述を翻したまともな(もともと犯罪など犯していない)人も多いのだ。

戦争という異常な状況下でやったことだ、というのだが、同じ状況下で何もしなかった人もいるのだ。

こういう、さもしい輩を利用して、中共は頃合いをみて今後も小刻みに流し続けてくるだろう。
しかも、本人の死亡を待って、反論される危険を避けているようだ。

周到に洗脳されたことを知ったうえで、「帰国後、戦犯の多くが管理所での供述を翻していない事実は重い」として懸命に言い訳している。
Posted by 脱・洗脳史講座でも読め at 2006年12月26日 11:54
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