2007年02月25日

硫黄島から何の手紙が送られたのか?

捜狐掲示板 2007年2月10日 ソース(中国語)


最近、米国人監督クリント・イーストウッドが「ヒューマニズム」を標榜し第二次大戦の皇軍を描いた映画が、日本でセンセーションを引き起こし、日本人の自尊心を駆り立てた。硫黄島の指揮官であった栗林忠道将軍を日本の有名な俳優である渡辺謙が「ヒューマニズム」たっぷりに、自己の残酷で重い使命を深く理解している「理知人」として演じた。この映画が日本で公開されると、日本の映画館は満席となり、映画を見終わった日本人は皆、自尊心と悔しさの涙を落とした。

「硫黄島からの手紙」は米国人監督が「尊重する態度」と「ヒューマニズムに忠実」な手法で第二次大戦時の日本の軍人を描いた初めての映画で、オスカー賞の4部門にノミネートされ、5週連続で高い興行収入をあげた。ある日本の老人はこの映画を鑑賞後涙目で、戦時中の尊厳に満たされた人を非常によく描いており、尊厳がこの作品のテーマだと話した。

それでは、この映画の内容と従来の「凶暴で残虐な鬼子」と描かれた日本軍の描写の何が違うのであろうか?

この作品では、日本の兵隊が人間的に悲惨に描かれている。これはつまり、このような戦争において、日本人もその他の被害を受けた人民と同様に被害者であり、さらに悲惨であり、唯一の違いは日本人は刀を持っていたが、その他の国の被害人民は殺されただけであったとの意図をもっている。どうりで、日本人がこの作品を見終わると、無念さで満たされ、感動して満面に涙を流すわけだ!!!!つまり、日本人が普段思っても話せない話を、この映画が話しているのだ。では日本人は普段何を考えているのか?

日本人は一途に中国を侵略した戦争が、卑劣で恥知らずで強盗行為で、世間からつばを吐きかけてやりたいほどに軽蔑されることであることを認めようとしない。この作品は日本人の声を代弁しているのである。日本人か引き起こし、他国人から「侵略」とされる戦争を当時の日本政府のプロパガンダと同じく聖戦であると。日本の軍人は聖戦の戦士だと。この聖戦の戦士の殺戮は、「大東亜聖戦」の障碍の邪魔者を消し去る聖戦であったと。

子どもの頃から我々は映画の中で、日本鬼子の凶悪で残忍な姿を脳に刻み込んでいる。これはわが国政府が誤った毒薬を我々に飲ませていることを意味する。我々のような「愚民」は「順民(他民族の支配に帰順した人民)」に成れず、日本政府の民衆への「救い」の配慮を理解できないのである。どうりで日本の老人が我々中国人を「支那豚」と呼ぶわけだ。

少し残念なのは、この映画が中国での南京等の多くの大虐殺、三光政策、中国での殺人、略奪、強姦、拉致、731、百人切り競争・・・を取り上げていないことである。もしも取り上げたなら、「ヒューマニズム」や「尊厳」の角度から壮麗な歴史物語を描けていただろうか? 歴史上での日寇の「ヒューマニズム」や「尊厳」はどのようなものだというのか? 彼等の「ヒューマニズム」がクリント・イーストウッドが掲げる「史実を尊重する」ものならば、「狼」の「ヒューマニズム」と「鬼の尊厳」となるのであろうか? 残念なのは、クリント・イーストウッドは目的を達成する為、人類が専用で使うべき「ヒューマニズム」や「尊厳」を使ってしまったことである。まったくもってお笑いである。童話の世界のように、野獣を擬人化し、人の言葉を話してしまっている。童話は童話であり、娯楽に過ぎない。もし君が現実で影響を受けてしまうならば、本当に野獣に「ヒューマニズム」や尊厳があると思ってしまうことであり、君は間抜けな豚である。

この作品は、日本の軍国主義の復活のタイミングで上映され、彼等が必要としていない「恥辱」をゴミ箱に捨てさせている。「読売ウィークリー」である評論家は、「この映画は偏見がなく(それなら抗日映画は偏見だらけになってしまう)、ヒューマニズムから戦争を描いている。我々は栗林将軍や日本の軍人の誠と尊厳を感じることができる」としている。これは当時の日本の軍国主義の見方と同じである。


掲示板の投稿です。作者は愛国主義世代の標準的な若者でしょう。軍国主義日本のプロパガンダには抵抗するものの、自国のプロパガンダはそのまま信じ込んでますね。

もちろん、極極一部ですが、同じ映画を見てもう少し違った感想を持つ中国人もいます。当ブログとは正反対の傾向の中国の記事を選んで翻訳されている有縁ネットさんが訳出されています。532中国の三面記事を読む(136) 「硫黄島からの手紙」を見て(1) 「内江葉子」と名乗る作者、バックグラウンドはわかりませんが、中国人にしては上出来でしょう。当然、自分のブログ(中国語)では売国奴扱いされています。

オスカー賞、もう直ぐ発表ですね。
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2007年02月17日

日本の2面的な手法


聯合早報 2007年02月07日 ソース(中国語)


日本は米国に対してよりも中国に対して攻撃性を持っている。

日本は2面的な手法をいつも用いる国家である。粗悪な政治家である小泉純一郎は人の目をくらます手段を心得ず、靖国神社の参拝を強調し、軍国主義の魂を呼び戻し、世界各国から非難を浴びた。特に重要なことは、日本がアジアの侵略された近隣諸国である、中国、韓国、北朝鮮、東南アジア諸国等からの強烈な譴責を受けたことであり、その重大な影響は日本のアジア貿易に及び、日本の国連安保理の常任理事国入り失敗を引き起こした。小泉の任期が終わり、安倍晋三が政権をとると、日本政府の反応は正常に戻った。安倍は直ぐに隣国を訪れて指導者と会談を行った。安倍は中国の指導者との会談で、一つの中国の原則を尊重し、歴史を反省し、「日中共同声明」等の3つの文書を中国との交流の際の基礎とすることに同意した。冷え込んだ中日、中韓関係は改善され、政府高官の行き来が増え、政冷経熱の状況はもう過去のものとなった。

しかし、なぜ小泉よりさらに強硬な人が現在こんなに「友好」なのであろうか? 多くの人は安倍の以前の報道を思い出すだろう。2006年8月以前、安倍は東シナ海を訪れ、日本の東シナ海の権益を守るために「中国との一戦もいとわない」等とわめきたてたことがある。安倍はメディアで堂々と中国を何回も攻撃した。靖国神社問題では安倍は、政権を担う前に何回も靖国神社を参拝し、「靖国神社参拝に問題はない」「A級戦犯は日本では犯罪者ではない」等とした。このような安倍晋三が本当の安倍晋三であり、彼の政治観の形成は彼の家庭環境にある。安倍晋三は政治家の家系に生まれ、彼の義祖父である岸信介とその弟の佐藤栄作は首相経験者であり、父の安倍晋太郎は外相、祖父の安倍寛は衆議院議員である。岸信介は日本の有名な鷹派の首相で、安倍晋三が最も尊敬する人物であり、安倍は「成人して、義祖父が進めた安保条約の改正の政治的な意義がわかり、それが私の政治家としての基準となった」と述べている。安倍の性格は非常に強情で、安倍の母は「晋三の政策は義祖父似で、性格は父親譲り」とした。安倍晋三は子どものころから強情な性格であった。3才の時のある日、晋三の父が探し物が見つからずに晋三が無くしたと思い込み、晋三を大声でしかり付けた。晋三は一歩も引かず、父をにらみ続けた。父子は小一時間にらみ続けたが、最終的には父が「投降」した。日本の右翼勢力の内閣での力は増強されており、決して弱まってはいない。つまり、安倍が現在採っている政策は、全て計算されたものであり、日本をアジアのその他の国との交流に道を開き、自己の人気をアップさせ、日本の「常任入り」への票を集め、日本経済に鎮静剤を打ち、米国のメンツを建てる為に行っているのである。安倍は隣国からの不満に囲まれずに軍国主義を推進しているのである。日本の今回の内閣の国際関係の立法は迅速でり、内外政策もさらに実効的で、多くは雲に巻いたような方法をとっている。

これらを証明するのは、日本が2007年1月9日に防衛庁を防衛省に格上げしたことである。これは小泉内閣が成し遂げられなかったことであるが、安倍は僅か半年で成し遂げ、かつ周辺の国の反日の波を引き起こさなかった。これは小泉の時代では考えられなかったことである。小泉内閣では外交がこう着状態であり、行っていることが非常に明らかであり、小さなことでも大きな抗議の声を引き起こしていた。最近日本では、関係法規を改正し、自衛隊が先制攻撃できるように計画をしている。これは日本のいわゆる「平和憲法」における「平和」条項の修正を意図するものであるが、他国はどうにも出来ず、日本は直ぐに実現することになるだろう。日本は最近、台湾海峡の「有事」に介入する声明を出している。

日本の戦略の試金石は台湾海峡問題である。台湾問題において安倍晋三は、「台湾を以って大陸を制する」姿勢を堅持している。岸信介は日本の親台湾派の先駆けである。1957年6月2日、岸は政権について僅か3ヶ月で台湾を訪問し、蒋介石との「共同声明」に署名をし、国民党の大陸への反撃を支持している。岸は何回も、「日本の安全の為には朝鮮と台湾を中国共産党に渡してはいけない」と表明している。1960年、岸信介は国内外の反対を押し切り、米国と新「日米安保条約」を結び、台湾を共同で防衛するとした。安倍晋三は岸信介の「台湾を以って大陸を制する」政治理念を継承し、日本の「親台湾派」と深い関係があり、「日華関係議員懇談会」の重要メンバーである。この組織は現在、日本の国会で党派を超えた最大の親台湾組織であり、日本の対台湾政治の主なチャンネルとなっている。2004年3月、当時゙自民党幹事長で有った安倍晋三は、東京で「陳水扁の再選を祝福」し、「李登輝のように日本を理解しており、世界でもまれな卓越な指導者である」としている。12月には安倍晋三の活動等により、日本政府は中国の強烈な反対を押し切り、李登輝の訪日を許可した。2006年7月に安倍晋三は非公式に中国国民党主席の馬英九と会談した際、米国と日本は中国大陸による台湾への武力攻撃を座して容認することは出来ないとし、「もし日本の周辺で我々の安全を威嚇するならば、日本は米国に対しての支援を提供する。中国の台頭は日本に大きな経済的な利益をもたらしたが、日本人は中国を容認する戦略をとるか、抑制する戦略をとるかを思索し、最終的に後者を選択した。これは日米共同声明で示した最も明確な信号である。」とした。

安倍は右翼勢力の代表の一人に過ぎないが、安倍の存在は日本に土壌が存在することを物語る。安倍が政権に就いたことは、日本ではそのような土壌が環境において主であることである。日本の政界の基礎は民意であり、少なくとも日本国民のかなりの部分はこのような政治環境を支持しているのである。民意は一朝一夕に形成されるものではなく、日本国民の中にはもともと右翼的な政治観点を持つものが多かったことを示している。

日本は台湾の問題に手を伸ばそうと図っている。第一の理由は、日本の海上の生命線を守る為である。日本のエネルギー輸送線は台湾付近を経由しており、大陸が台湾を手に入れれば、中国は日本の「生命線」に対してさらに大きな威嚇となる。第二の理由は、中国が強大になることを抑制することで、自己のアジアの政治経済における覇権を保持する為である。

日本は自己の利益を無視することはなく、日本の政界はこのような観点をもっており、完全に日本が現在世界で行っている外交が「2面的外交」であると言えるのである。日本は隣国に行っているものは形だけであり、日本の本心はそこに無い。

日本の外交戦略は相手国が弱ければ馬鹿にし、強ければ頭を下げて叔父と呼び従うものである。相手国が強大になりつつあると、表面上は友好でも、背中には刀をもっている。1941年12月7日、日本は米国と協議を行っていたにもかかわらず、同時に真珠湾を攻撃したことが証明である。ゆえに、我々は日本が長期にわたって中国に対して「友好」であっても、突然中国に対して戦争を発動することを推測する十分な理由があるのである。日本と中国は国家的な利益が重なる部分が多く、日本の中国に対しての威嚇は、米国のそれよりも大きいのである。米国は比較的広い視野で世界を見て、中米関係を捉え防備を行っているが、日本は単純な地縁的な政治角度で中国が巨大な威嚇だと考えているに過ぎない。

それゆえ、我々は日本の2面的な手法の裏をかいて最大の利益を得なければならない。同時に我々は日本に対する防衛を固め、日本の中国に対する宣戦布告無しの戦争発動に備えなければならない

勝手に備えてください。

ソースはシンガポールの華僑向け新聞です。中国国外の新聞であり、中共の指導が弱く、中国人の本音が出た記事となっています。「政治家等の一部の右翼分子と善良な国民」の建前を無視し、日本の右傾化は民意であるといった当たり前の分析をしていますね。

米国に対するあこがれ、日本に対する蔑視、台頭する中国、中国に対する抑制、アジアの覇権、キーワードもいつものとおりですね。題名にもなっている2面的(裏表がある、矛盾がある)日本のイメージも中国では常識。まぁ、菊と刀を読み、反日ドラマと宮崎駿のアニメを見て日本を理解する以上、必然でしょう。

小泉前首相も中国人とうまく張り合える「強敵」として中国人から評価が高かったのですが、安倍首相は「人の目をくらます手段を心得ていて」評価がさらに高い状況です。最近の日本の左側のメディアの安倍叩きは尋常ではないレベルですが、それほど中共は怖いのでしょう。靖国の問題がよく注目されますが、それ以上に首相は中共の一番のアキレス腱の台湾問題で決してぶれない姿勢をもってますからね。
posted by 元祖うぷぷ at 23:08| Comment(12) | TrackBack(0) | 反日記事(政治日中関係) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月11日

「小日本」が映し出す中国の日本観 中国人はいかに世界への誤解を回避するか

新華網 2007年02月07日 ソース(中国語)


「国際先駆導報」が1月5日に発表した「中国人の誤解した世界」は、メディアやネットに巨大な反応を引き起こした。

社会変革時の中国人が急に世界を理解しようとしたことは、メディアによる迷信や国外の報道による誤りを信じてしまうことになった。急激に発展する世界においては、適度に周到かつ慎重なことが必要である。

「国際先駆導報」は最近、意義のある仕事を行った。外国が如何に中国を誤解して「中国威嚇論」を論じているかを批判するとともに、自己を反省して中国がどのように世界を誤解しているのかを深く探ったのである(詳細は本紙1月4日、22日の紙面を参照)。この特集において、ある潜在意識が人々に脳裏に存在し、中国人が世界を誤解するのは、大部分は中国人の誤りであることがわかった。これは本当なのか?

背景:中国と世界の距離が縮まった

いわゆる「誤解」の前提は、相対的な真実、客観が存在することである。しかし、多くの事柄はそうではない。ここで言う世界ととは、自然の世界を指すものではなく、人的な世界を指す。人的な世界そのものには完全な客観性がなく、「誤解」以外も含まれることになる。

さらに実質的な問題として、中国人が現在世界を誤解していることと、アヘン戦争の際に西側を誤解していたこととが違うのかという問題がある。中国人は200年も世界を見ていて、改革開放から30年も経っているのに、なぜ我々はまだ世界を誤解しているのであろうか? 何かしらの必然が存在しているとでも言うのか? 中国人は如何に世界を見るべきなのであろうか?

おいて、中国は「世界の中心」であった。現在、台頭する中国は次第に世界の核心に入り込んできている。外にある世界の光景が、中国の内なる世界に入り込んでいる道のりにあるのである。いわゆる客観的な世界はそもそも存在せず、実際は心と化した世界である。つまり、中国人がなぜ世界を誤解するのかの重要な原因の一つは、中国が台頭し相対的に世界が没落してることされ、我々が「中国の台頭」を語るとき、世界のその他の国家が中国と同時に台頭してるとは考えていない。つまり世界を見るときに固定的なピントであり、その対象の背景が交錯して移動することで、ピントがずれた状態になっているのである。

今日の中国人が世界を誤解しているのは、過去とは異なった状況なのである。

誤解を避ける為には薬が必要

恐ろしいのは誤解ではなく、故意の誤解であり、誤解せざるを得ないことである。なぜ誤解を避けられないのか? 我々はまず始めに何が誤解であるかを明らかにし、それを分類し、薬を処方しよう。

詳細に研究をすると、3種類の誤解があることがわかる。無意識の誤解、意識的な誤解、世界自体の非解読性である。

まず無意識の誤解を見てみよう。いわゆる無知無罪である。人々は知らない事柄に対して3種類の心理を持つ。恐れ、好奇、冷淡である。人々は恐れを嫌い、好奇も冷淡も面倒であり、知らない世界に対し、単純化して理解し、恐れから逃れ、好奇を駆逐し、面倒から逃れ、心を慰め、冷静になるのである。いわゆる理解は、事柄を本来の形以外に認識するだけでなく、その誤解という結論に結びつく。例を2つあげよう。ソマリアと聞けば、我々はすぐに内戦を思いつき、ハリウッド映画「ブラックホーク・ダウン」を思い出す。インドと聞けば、すぐに汚いが神秘な国であると思う。この種の「常識」の誤解は、無知から生まれるわけではなく、固有のイメージや偏見によるもので、また直ぐに変わり繰り返すものである。

意識的な誤解がさらに恐ろしい

意識的な誤解は心理的な距離により、さらに3種類に分類できる。仰視、蔑視、平視である。仰視の誤解は神話であり、蔑視の誤解は見くびりであり、平視の誤解は自己投影であり、全て人的なものである。

仰視の対象は、まず米国であろう。我々の米国はしばしば神話の米国であり、自己の文化心理において米国を理解し、そのなかに自分自身の認識を求める。中国は特に歴史的に被害者であるとの心理が強く、しばしば自身の傾向により米国の外交行為の評価が行われる。たとえば米国の大統領と議会が不一致しても、所詮はグルになっているとしか考えず、あたかも米国がとても超越した力によってコントロールされ、一つ一つの事柄は芝居であり、想像を膨らませ、概念化し記号化して米国を理解している。

蔑視の対象の典型は「小日本」であろう。もちろん中国人の日本観は羨望と軽蔑の複合体である。

平視は、問題を小さくとらえ、共通や相違の心理を持つものである。典型例は韓国に対する誤解であろう。中国人は韓国人に対して共通点があるという感覚を持つ一方、韓国人はなぜ生水を飲むのか? なぜコーヒーが好きなのか? 教会がなぜ沢山あるのか?等と疑問をもつ。一部の人の脳裏には朝鮮半島が歴史的に中国の属国であったイメージが強く、「中国中心論」が排除できない。それゆえ、この種の平視は蔑視と交錯することが多いのである。

世界自体の非解読性

最後は世界自体の非解読性である。世界は日進月歩であり、客観であり、理性的に世界を見ることは相対であり、本質的で真実の世界はもともと存在しない。たとえば趙汀陽は「現在の世界は一つの"非世界(non-world)"であり、地理が存在するだけで、政治は存在しない」とし、現在の世界は分裂していると指摘するのである。現在はグローバル化、政治の国際化、文化の地方化がされている。このような世界をどの様にみると言うのか?

世界に対する誤解は、中国人だけのものではなく、人類に共通なものである。人々は自身が知っていることから出発し、潜在意識においてその対象物を自身が知っていることに照らす。つまり「鏡像(ミラーイメージ)問題」であり、このことにより「国外の指導者や国、団体が分析者が良く知っている対象と同様の動機や目標をもつ」こととみなされる。

世界を誤解しているのか、それとも自身を誤解しているのか

中国人は果たしてどのように世界を見ればよいのか? それはまず正確に自分を見ることであろう。そして、世界を見るときに中国を忘れること。世界を見る過程は、世界が我々を見ている過程なのである。

中国人の世界観は、実際のところ中国観の反射である。中国人の米国観は中国的な結論なのである。

近代の中国人が世界を見て以来、米国に対しては期待をもっていた。「門戸開放」、ウィルソン大統領の「14ヶ条の提案」、「四警察官構想」、最近ではゼーリックの「ステークホルダー」等、多くの国民は強烈な興奮を覚え、米国への希望で満ちている。しかし、希望が大きければ失望も大きい。両者が相互に国民の米国観を作り出し、振り子のようになっている。

過度の中国の感情や主観が米国神話を生み出した。この種の神話は、米国に対しての実際の希望になり、自己実現の予言となった。このように、相手を正確に理解するには、相手の環境に入り込まなければ成らず、さもなければ、類推が出来ず、自分の考えで他人を推し量ることになってしまう。

言うのは簡単だが、成すのは難しい。1849年のアヘン戦争以来、中国は伝統的な身分を失い、現在になるまでその新たな身分を模索中である。歴史学者章百家は清朝が残した外交の遺産、中国100年の屈辱史が中華民族に心理的な無形の烙印を押し、何代、何十代にも渡ってもそれを消すことは出来ないと指摘した。「中国にとって本当の災難は、かつての外交体制が崩壊したことではなく、新たな体制が国際社会の最下層に置かれ、盟友が無く、どのような自衛の手段も無かったことである」2種類の国際的な体制が交錯する中、強烈なコントラストは中国人の平衡感覚が失墜させた。プライド感と屈辱感、外への憎しみと外へのへつらい、西側の学習と西側からの影響に対しての抵抗、中国人の胸のなかでは矛盾が共存し、交錯し、時によって違ったものが出てくる

中国の国家の身分は現在形成の途中であり、世界は等しくもなく、偏ることも無く、深刻で複雑な変化の最中である。つまり、中国人の世界への誤解は世界が定型でないことであり、中国も定型でないことも影響している。

正しく世界を見ることを、あせってはいけない。どのような時代であれ、どのような発展の段階であれ、やれることをやるだけであり、厳しすぎる要求はすべきでない。社会変革時の中国人が急に世界を理解しようとしたことは、メディアによる迷信や国外の報道による誤りを信じてしまうことになった。急激に発展する世界においては、適度に周到かつ慎重なことが必要である。(作者 複旦大学米国研究センター副教授 国際問題研究院院長助理王義危 「国際先駆導報」)

1月14日のエントリ(中国人の誤解した世界 韓国人は愛国心から日貨を購入しない)の続編にあたる記事です。一流大学の教授が出て来て、豊富な知識を披露すると同時に、必要以上に小難しく解説することにより人民を納得させようとする、まあ自己批判する時の典型的な記事です。

ただ、ある程度この作者は評価できると思います。前回も指摘していますが、中国人は非常に主観的なのですが、中国人にしては比較的客観的に物事を見れている気がします。あと、中国人の日本観は羨望と軽蔑の複合体である。などと、あまり身分がある人が書くべきでないことも書いています。中華思想にも触れてますね。

最もこの記事、中国人が主観的であることを「相対的な世界」「台頭する中国」等に擦りつけ、自己の無知であったり、思考停止であったり、情報統制であったりとさまざまな反省点を回避しています。まぁ中国人らしい言い回しです。

「相対的」というキーワード、実は中国人を理解するのに重要です。全ての方面において「絶対的」なよりどころ、基盤が無い現在の中国人、彼らが主観的に行動する一つの原因だからです。「誤解」の一つの原因でもあります。作者は気づかずに使っているようですが。
posted by 元祖うぷぷ at 12:05| Comment(9) | TrackBack(0) | 反日記事(文化) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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